結婚しているにもかかわらず、お互いが他の異性との関係を認め合う「オープンマリッジ」という概念をご存知でしょうか。近年、一部の著名人が公言したことで注目を集めているこの関係性ですが、多くの人が強い違和感や嫌悪感を抱いているのも事実です。
オープンマリッジに対して「気持ち悪い」と感じてしまうのは、決して偏見や古い価値観のせいではありません。むしろ、それは結婚や家族に対する真摯な思いや、パートナーを大切にしたいという健全な感覚から来る自然な反応といえるでしょう。
この記事では、なぜ多くの人がオープンマリッジに拒否反応を示すのか、その心理的な原因を探ります。さらに、オープンマリッジを求める人の心理や特徴、日本社会で受け入れられにくい背景についても詳しく解説していきます。もし身近にオープンマリッジを提唱する人がいる場合の対処法についても触れますので、ぜひ参考にしてください。
目次
オープンマリッジとは?
オープンマリッジとは、結婚しているにもかかわらず、夫婦がお互いに配偶者以外の異性との恋愛関係や性的関係を容認し合う結婚形態のことを指します。通常の結婚では、配偶者以外との関係は不貞行為として許されませんが、オープンマリッジでは夫婦双方の合意のもとで、それを認め合うという点が大きな特徴です。
この概念は、1970年代にアメリカで提唱され、一部の進歩的な夫婦の間で実践されてきました。提唱者たちは、一夫一婦制が人間の本来の姿ではなく、複数の相手と関係を持つことは自然な欲求だと主張します。また、配偶者以外との関係を持つことで、かえって夫婦関係が新鮮さを保てるという理論を展開する人もいます。
日本では、オープンマリッジという言葉自体はあまり一般的ではありません。しかし、一部で少数ながら提唱する人もいます。もちろん社会全体としては受け入れられておらず、むしろ強い批判や嫌悪感を示す人が圧倒的多数です。
オープンマリッジと似た概念に「ポリアモリー」がありますが、これは複数の相手と同時に誠実な恋愛関係を築くという考え方です。オープンマリッジは結婚という法的・社会的な枠組みの中で、配偶者以外との関係を認め合うという点で、やや異なるニュアンスを持ちます。
いずれにせよ、日本の文化や価値観においては、結婚における排他性が重視されるため、オープンマリッジは大多数の人にとって理解しがたく、受け入れがたい概念として捉えられています。
オープンマリッジは気持ち悪い!そう感じる5つの原因
オープンマリッジに対して多くの人が抱く違和感や嫌悪感には、いくつかの共通する原因があります。ここでは代表的な5つの感情的な原因について見ていきましょう。
- 最愛の人を知らない誰かとシェアしている気分
- 結婚という約束や誓いが軽視されている印象
- 性的な関係を公言することへの生理的な抵抗
- 家族や子供への影響を考えると受け入れがたい
- 単なる浮気や不倫の言い訳にしか聞こえない
最愛の人を知らない誰かとシェアしている気分
オープンマリッジに対して最も強い拒否反応を生む要因の一つが、愛する人を他の誰かと分け合うという状況への耐えがたい嫌悪感です。多くの人にとって、結婚は唯一無二の特別な関係であり、その相手を他者と共有するという発想自体が受け入れられません。
恋愛や結婚における独占欲は、決して悪い感情ではありません。大切な人を独り占めしたいと思うのは、その人を心から愛している証拠です。自分だけの特別な存在でいてほしい、自分だけを見てほしいという願いは、健全な愛情表現の一部なのです。
ところがオープンマリッジでは、自分が最も大切にしている相手が、知らない誰かと身体的な関係を持つことを容認しなければなりません。その相手がどんな人物なのか、どこでどのように過ごしているのか、想像するだけで胸が締め付けられるような苦痛を感じる人がほとんどでしょう。
さらに、パートナーが他の異性と過ごした後に自分のもとへ帰ってくるという状況は、まるで自分が複数いる選択肢の一つに過ぎないような感覚を生み出します。唯一無二の存在であるはずの配偶者が、実は複数の関係の中の一人に成り下がってしまう。この感覚こそが、多くの人に強烈な不快感をもたらすのです。
結婚という約束や誓いが軽視されている印象
結婚式で交わす誓いの言葉には、「病める時も健やかなる時も、互いに愛し合い、敬い合うことを誓います」という一節があります。この誓いには、二人だけの特別な絆を一生涯守り抜くという決意が込められています。
しかし、オープンマリッジはこの神聖な誓いを根本から覆すものだと感じる人が多くいます。結婚という制度や約束の重みを理解していないのではないか、簡単に考えているのではないかという印象を与えてしまうのです。
多くの人にとって結婚は人生における最も重要な決断の一つであり、その相手とだけ深い関係を築くことを選ぶ行為です。他の全ての可能性を手放してでも、この人と生きていきたいという覚悟の表れなのです。それなのにオープンマリッジでは、他の異性との関係も並行して持ち続けるという選択をします。
この矛盾した態度が、結婚という制度そのものを軽んじているように映ります。結婚の意味や価値を理解していないのではないか、単に社会的な体裁や法的な利便性のためだけに結婚しているのではないかという疑念を抱かせてしまうのです。真剣に結婚と向き合っている人ほど、こうした姿勢に強い違和感を覚えるのは当然といえるでしょう。
性的な関係を公言することへの生理的な抵抗
日本の文化では、性に関する事柄は極めてプライベートなものとされています。夫婦間の親密な関係は二人だけの秘密であり、それを他者に詳しく語ることはタブー視されてきました。この感覚は日本人の美意識や品性の基準に深く根ざしています。
ところがオープンマリッジを公言する行為は、自分たちの性的な関係性を社会に向けて発信することに他なりません。誰とどのような関係を持っているかを明言することは、多くの人にとって下品で不快な行為と映ります。
さらに、性的な関係を複数の人と持つことを堂々と語る姿勢には、羞恥心や慎み深さが欠如しているという印象を与えます。性に対してオープンであることと、配慮のない発言をすることは全く別物です。周囲の人が不快に感じるかもしれないという想像力を働かせることなく、自分たちの関係性を語る態度に嫌悪感を抱く人は少なくありません。
また、子供や若い世代が目にする可能性のある場所でこうした話題を公にすることへの批判もあります。性教育は重要ですが、大人が無秩序な性的関係を肯定的に語ることは、教育的に好ましくないと考える人が多いのです。
家族や子供への影響を考えると受け入れがたい
オープンマリッジが子供のいる家庭で実践される場合、子供への心理的な影響を心配する声は非常に多く聞かれます。親が複数の異性と関係を持つ姿を見て育つ子供が、健全な愛情観や家族観を持てるのか疑問に思う人は少なくありません。
子供にとって、両親は最も身近な大人であり、人間関係のお手本です。その両親が他の異性と親密な関係を持っている状況を知れば、混乱や不安を感じるのは当然でしょう。「お父さんやお母さんは自分たち家族だけでは満足できないのか」という寂しさを抱く可能性もあります。
また、学校などで友達からからかわれたり、好奇の目で見られたりするリスクも考えられます。子供は親の生き方を選べません。親の価値観や選択によって、望まない形で周囲から特別視されたり、傷つけられたりする可能性があることを、オープンマリッジを選ぶ親は十分に考えているのかという疑問が湧きます。
さらに、祖父母や親戚など、拡大家族への影響も無視できません。家族全体が社会から奇異な目で見られたり、親戚付き合いに支障が出たりする可能性もあります。自分たちの選択が周囲の人々にどのような影響を及ぼすかを考えると、到底受け入れられないと感じる人が多いのです。
単なる浮気や不倫の言い訳にしか聞こえない
オープンマリッジという言葉を聞いたとき、多くの人が真っ先に思うのが「それは結局、浮気や不倫を正当化しているだけではないか」という疑念です。横文字を使って格好良く言い換えているだけで、本質は配偶者以外との関係を持つことに変わりはありません。
通常、結婚している人が他の異性と肉体関係を持てば、それは不倫と呼ばれ、社会的にも道徳的にも非難されます。ところがオープンマリッジという概念を持ち出すことで、あたかも先進的で理解のある関係性であるかのように装っているように見えるのです。
特に、一方のパートナーが望んでいないのに、もう一方が強引にオープンマリッジを提案するケースでは、完全に自分勝手な欲求を通すための口実にすぎません。「お互いの合意があれば問題ない」と言いながら、実際には力関係や依存関係を利用して相手に承諾させているだけという場合もあります。
また、オープンマリッジを始めた後に「やはり耐えられない」と訴えるパートナーに対して、「最初に合意したじゃないか」と責任を押し付ける態度も問題です。人の感情は変化するものであり、実際に経験してみなければ分からないこともあります。それを理解せず、形式的な合意だけを盾に取る姿勢は、相手への配慮が欠けていると言わざるを得ません。
オープンマリッジを求める人の心理

オープンマリッジを希望する人には、どのような心理が働いているのでしょうか。ここでは代表的な4つの心理パターンについて解説します。
- 単純に一人の異性だけでは満足できない
- 自分は複数人と関係をもって当然という自己肯定感が強い
- 刺激や変化を常に求めてしまう性格
- 深い関係や責任から逃げたい気持ち
単純に一人の異性だけでは満足できない
オープンマリッジを求める人の中には、一人のパートナーとの関係だけでは性的にも感情的にも満たされないと感じている人が少なくありません。この感覚は、満足感の閾値が通常より高いことや、刺激に対する欲求が強いことから生じます。
こうした人々は、同じ相手との関係が続くと飽きてしまったり、物足りなさを感じたりする傾向があります。新しい関係がもたらす興奮やドキドキ感、未知の相手を知る楽しみなどに強く惹かれるのです。一人の相手と深く向き合い、時間をかけて関係を育てていくことよりも、次々と新しい刺激を求めることに価値を見出します。
また、多様性への欲求も背景にあります。異なるタイプの人と関わることで、さまざまな経験を得たい、自分のいろいろな側面を表現したいという願望です。一人の相手だけでは自分の全ての面を満たせないと感じ、複数の関係を通じて完全な満足を得ようとします。
しかし、この心理には際限がないという問題があります。新しい刺激はすぐに慣れてしまい、さらなる刺激を求めるという終わりのない循環に陥る可能性があります。本質的な満足感は、量ではなく質から生まれることを理解していないため、いくら関係を増やしても心が満たされることはないのです。
自分は複数人と関係をもって当然という自己肯定感が強い
オープンマリッジを求める人の中には、自分は特別な存在であり、複数の異性から求められて当然という強い自己肯定感を持っている人がいます。これは健全な自信とは異なり、自己愛が過剰に肥大化した状態といえます。
こうした人々は、自分には魅力があり、多くの人を惹きつける力があると信じています。そのため、一人の相手に絞ることは自分の価値を制限することだと考えます。「自分ほどの人間が一人だけと関係を持つのはもったいない」という感覚を持っているのです。
また、自分の欲求を最優先する権利があるという考え方も根底にあります。自分が複数の関係を望むなら、それを実現することは当然の権利であり、パートナーや社会がそれを認めるべきだと考えます。他者の感情や社会のルールよりも、自分の欲求を満たすことが重要だという価値観です。
この心理は、幼少期から過度に甘やかされて育った人や、常に自分が中心でいることに慣れている人に見られる傾向があります。他者の立場に立って考える共感能力が育っていないため、自分の行動が周囲にどのような影響を与えるかを想像することが苦手です。自分が満足すればそれで良いという自己中心的な思考パターンが固定化されているのです。
刺激や変化を常に求めてしまう性格
オープンマリッジを希望する人の中には、安定や日常よりも刺激や変化を強く求める性格の持ち主が多くいます。同じ日々の繰り返しや予測可能な生活に退屈を感じやすく、常に新しい経験や冒険を渇望するタイプです。
こうした性格の人にとって、一人の相手との長期的な関係は単調で物足りないものに感じられます。最初は新鮮で楽しかった関係も、時間が経つにつれて日常化し、刺激が薄れていきます。そうなると、新しい出会いや関係による興奮を求めて、他の異性に目が向いてしまうのです。
この心理的傾向は、恋愛だけでなく仕事や趣味においても表れることが多く、一つのことを長く続けることが苦手な傾向があります。新しいプロジェクトには熱心に取り組むものの、ルーティン化すると興味を失ってしまう。転職や引っ越しを繰り返す。常に新しい刺激を探し続けるというパターンです。
しかし、刺激を追い求める生き方には限界があります。年齢を重ねるにつれて新しい刺激は得にくくなり、また刺激だけでは心の深い部分は満たされません。安定した関係の中にある静かな幸せや、時間をかけて育む深い絆の価値に気づけないまま、表面的な刺激ばかりを追い続けることになります。
深い関係や責任から逃げたい気持ち
オープンマリッジを求める心理の背景には、一人の相手と真剣に向き合うことへの恐れや、責任を負うことへの回避欲求が隠れている場合もあります。深い関係を築くことは、自分の弱さや欠点をさらけ出すことであり、それは大きな勇気を必要とします。
一対一の真剣な関係では、相手から深く理解されると同時に、自分の至らない部分も見られてしまいます。また、相手の期待に応えなければならないというプレッシャーや、関係を維持するための努力も必要です。こうした責任や負担から逃れるために、複数の浅い関係に分散させるという戦略を取るのです。
複数の関係を持っていれば、どの相手に対しても本気で向き合う必要がなくなります。一つの関係で問題が生じても、他の関係に逃げ込むことができます。誰に対しても全力で責任を果たす必要がないという安心感が得られるのです。
また、一人の相手に全てを捧げることへの恐怖もあります。もしその関係が終わったら、全てを失ってしまうという不安です。複数の関係を保持することで、リスクを分散し、どれか一つが失われても大丈夫という心理的な安全網を張っているともいえます。しかし、こうした生き方では、本当の意味での親密さや信頼関係を経験することはできません。
オープンマリッジを希望する人に多い特徴
オープンマリッジを提案したり実践したりする人には、いくつかの共通する特徴が見られます。ここでは代表的な4つの特徴について見ていきましょう。
- とにかく自信があって自我も強い
- 他人の気持ちや世論に疎い
- 性的な欲求や好奇心が人一倍強い
- 既存の価値観や常識を否定したがる
とにかく自信があって自我も強い
オープンマリッジを希望する人の多くは、非常に強い自信と確固たる自我を持っています。自分の価値観や欲求に絶対的な確信を持っており、それを曲げることをしません。この自信は時に魅力的に映ることもありますが、しばしば傲慢さや頑固さとして表れます。
こうした人々は、自分の選択は正しいと信じて疑いません。社会の常識や多数派の意見よりも、自分の感覚や判断を優先します。「他の人がどう思おうと、自分が正しいと思うことをする」という姿勢が一貫しているのです。
また、自分の魅力や能力に対する自信も非常に高い傾向があります。複数の異性から求められるのは当然だと考えており、それを実現できる自分の魅力を疑いません。この自信が、一人のパートナーに絞る必要はないという発想につながります。
さらに、自我が強いため、パートナーの気持ちよりも自分の欲求を優先してしまいます。相手が嫌がっていても、「いずれ理解してくれるはず」「これが正しい形なのだから受け入れるべきだ」と考え、自分の意見を押し通そうとします。対等な話し合いというよりも、自分の考えを相手に納得させようとする一方的なコミュニケーションになりがちです。
他人の気持ちや世論に疎い
オープンマリッジを公言する人は、周囲の人がどう感じるか、社会がどう受け止めるかについて鈍感な傾向があります。自分たちの関係性を語ることで、聞いた人が不快に感じたり、困惑したりする可能性を想像する力が欠けているのです。
多くの人は、たとえ自分が少数派の考えを持っていても、それを公の場で大々的に語ることは控えます。周囲の人を不快にさせたり、無用な摩擦を生んだりすることを避けるためです。しかし、オープンマリッジを提唱する人は、自分の自由や権利を主張することが最優先であり、それによって他者が不快に感じることへの配慮が足りません。
また、自分たちの選択に批判的な意見が寄せられると、「偏見だ」「古い価値観に囚われている」と反論します。相手の意見を理解しようとするのではなく、自分たちを理解しない相手が間違っていると決めつける傾向があります。
この特徴は、共感能力や想像力の不足から来ている場合が多いです。他者の立場に立って物事を考える習慣がないため、自分の行動や発言が周囲にどのような影響を与えるかを予測できません。結果として、人間関係でトラブルを起こしやすく、孤立しやすい傾向があります。
性的な欲求や好奇心が人一倍強い
オープンマリッジを求める人の中には、性的な欲求や好奇心が一般的な人よりも強いという特徴を持つ人もいます。一人の相手との関係だけでは性的に満たされず、より多くの経験や刺激を求めてしまうのです。
こうした人々は、性的な魅力を感じる対象が広く、また新しい経験への興味が尽きません。様々なタイプの相手と関係を持つことで、自分の性的な可能性を探求したいという欲求を持っています。一人の相手との関係を深めることよりも、多様な経験を通じて満足を得ることに価値を置いています。
また、性に対する価値観が一般的な人とは異なる場合もあります。性的な関係は愛情とは別物であり、純粋な快楽や欲求の解消として捉えているのです。そのため、配偶者以外との性的関係が、夫婦の絆を傷つけるものだとは考えません。
しかし、この考え方は多くの人の感覚とは大きく異なります。大多数の人にとって、性的な関係は愛情表現の最も親密な形であり、特別な相手とだけ共有するものです。性と愛を切り離して考える価値観を、パートナーや社会に理解させることは非常に困難です。
既存の価値観や常識を否定したがる
オープンマリッジを提唱する人には、伝統的な価値観や社会の常識に対して反発心を持つ傾向が見られます。既存のルールや慣習を古臭いものと捉え、それに従うことを良しとしません。自分たちは進歩的で自由な考えを持っていると自負しているのです。
こうした人々は、「結婚したら配偶者だけと関係を持つべき」という社会通念を時代遅れだと考えます。一夫一婦制は人間の本来の姿ではなく、社会が作り出した不自然な制度だという主張をすることもあります。自分たちこそが新しい時代の先駆者であり、いずれ社会がこの考えに追いついてくると信じています。
また、反骨精神が強く、多数派の意見に流されることを嫌います。むしろ、批判されることで自分たちの特別性を確認し、満足感を得る面もあります。社会から理解されない孤高の存在というイメージに酔っている部分もあるのです。
しかし、既存の価値観を否定することと、より良い価値観を提示することは別物です。伝統的な一夫一婦制には、長い歴史の中で培われた知恵や、社会の安定を保つための合理性があります。それを単に古いという理由で否定し、自分たちの欲求を正当化する論理は説得力に欠けます。
オープンマリッジの5つのデメリット

オープンマリッジには、実践する当事者にとっても、周囲にとっても様々な問題やリスクが伴います。ここでは主な5つのデメリットについて解説します。
- 抵抗がある人達からバッシングされる
- 信頼関係が崩れやすくなる
- 感染症や予期せぬ妊娠のリスク
- パートナーや子供が嫌な思いをすることも
- 結局上手くいかず離婚のリスクが常にある
抵抗がある人達からバッシングされる
オープンマリッジを公言すると、社会から強い批判や非難を受ける可能性が非常に高いです。日本社会では、結婚における排他性や一夫一婦制が当然の前提とされており、それに反する行為は道徳的に問題があると見なされます。
特に会員制交流サイトなどで自分たちの関係性を発信した場合、見ず知らずの多くの人から批判的なコメントが寄せられることになります。「気持ち悪い」「子供がかわいそう」「ただの不倫の言い訳」といった辛辣な言葉を浴びせられ、精神的に大きなダメージを受けることもあります。
また、職場や地域コミュニティでオープンマリッジが知られると、周囲の人々から距離を置かれたり、陰口を言われたりする可能性があります。特に子供が学校に通っている場合、他の保護者から警戒され、子供が友達との関係に影響を受けることも考えられます。
さらに、家族や親戚からも強い反対や失望を示されることが多いでしょう。親世代にとっては、自分たちが育てた子供がこのような選択をしたことが理解できず、恥ずかしいと感じる人も少なくありません。家族関係が悪化したり、親戚付き合いができなくなったりするリスクも高いのです。
信頼関係が崩れやすくなる
オープンマリッジでは、夫婦間の基本的な信頼関係が揺らぎやすいという大きな問題があります。お互いが他の異性と関係を持つことを許可しているとはいえ、実際にパートナーが知らない誰かと親密な時間を過ごしていると想像すると、嫉妬や不安を感じずにはいられません。
理屈では納得していても、感情はそう簡単にコントロールできるものではありません。パートナーが外出するたびに「今、誰と何をしているのだろう」と考えてしまい、心が休まる時がなくなります。疑心暗鬼が常態化し、些細なことでも裏切りを疑うようになってしまうのです。
また、オープンマリッジのルールを守っているかどうかを監視し合う関係になりやすいという問題もあります。事前に決めた約束事を本当に守っているのか、隠していることはないのか、互いに詮索し合うようになり、健全な信頼関係とは程遠い状態になります。
さらに、どちらか一方が他の相手に本気になってしまう可能性も常につきまといます。最初は遊びのつもりでも、新しい相手との関係が深まり、気持ちが移ってしまうケースは珍しくありません。そうなれば、もう元の関係には戻れません。お互いに「裏切らないはず」という前提が崩れた瞬間、夫婦としての絆は完全に壊れてしまいます。
感染症や予期せぬ妊娠のリスク
オープンマリッジには、性感染症のリスクが通常の結婚生活よりも格段に高まるという深刻な問題があります。複数のパートナーと関係を持つということは、それだけ多くの人との接触があるということであり、感染症が広がる可能性が増大します。
たとえパートナー同士で予防策について話し合っていても、相手がさらに別の誰かと関係を持っていれば、感染経路は複雑に広がっていきます。自分が直接関係を持っていない人からも、間接的に感染するリスクがあるのです。中には自覚症状のない感染症もあり、知らないうちに広がってしまうこともあります。
また、予期せぬ妊娠のリスクも無視できません。避妊に細心の注意を払っていても、完全に妊娠を防ぐことは不可能です。もし配偶者以外の相手との間に子供ができてしまった場合、その責任をどう取るのか、法的にも倫理的にも非常に複雑な問題が生じます。
さらに、こうした健康上のリスクは当事者だけでなく、何の罪もない配偶者にも及びます。パートナーが外部で感染症をもらってきて、自分にうつされるという事態も起こり得るのです。自分は他の誰とも関係を持っていないのに、パートナーの行動によって健康を害されるという理不尽な状況に陥る可能性があります。
パートナーや子供が嫌な思いをすることも
オープンマリッジは、たとえ表面上は合意していても、実際には片方のパートナーが我慢を強いられているケースが少なくありません。本当は嫌なのに、相手を失いたくないという恐れから、渋々承諾している場合があるのです。
特に経済的に依存している側や、子供のことを考えて離婚を避けたい側は、立場が弱くなりがちです。本心では受け入れがたいと感じていても、「これを拒否したら離婚されるかもしれない」という不安から、自分の感情を押し殺してしまいます。対等な合意とは程遠い、力関係による強制に近い状態です。
そして、最も無防備で傷つきやすいのが子供です。両親が他の異性と関係を持っていることを知った子供は、深い混乱と傷を負います。「普通の家族とは違う」という疎外感や、「両親は家族だけでは満足できないのか」という寂しさを抱えることになります。
学校で友達に知られた場合、からかいやいじめの対象になる可能性もあります。子供は親の選択によって、望まない苦しみを背負わされるのです。親は「子供は理解してくれるはず」と楽観的に考えるかもしれませんが、実際には子供の心に深い傷を残すことになりかねません。
結局上手くいかず離婚のリスクが常にある
オープンマリッジを始めた夫婦の多くは、最終的に関係が破綻して離婚に至るケースが多いという現実があります。最初は理想的な関係を築けると信じていても、実際にやってみると想像以上に感情のコントロールが難しいのです。
どちらか一方が他の相手に本気になってしまう、嫉妬に耐えられなくなる、ルールを破って信頼が崩れる、価値観の違いが決定的になるなど、破綻の理由はさまざまです。特に、最初は両方とも同意していたはずなのに、実際に始めてから「やはり無理だ」と気づくケースが非常に多いのです。
また、時間が経つにつれて関係の不均衡が生じやすいという問題もあります。片方は複数の相手と楽しく過ごしているのに、もう片方は誰からも求められず孤独を感じるといった状況です。この不公平感が積み重なると、怒りや絶望につながります。
離婚に至った場合、通常の離婚以上に複雑な問題が生じることもあります。財産分与や親権の問題に加えて、オープンマリッジという特殊な関係性が離婚原因としてどう扱われるのか、法的にも難しい判断が求められます。結局、理想を追い求めた結果、全てを失ってしまうことになりかねないのです。
オープンマリッジが日本で受け入れられない3つの理由
オープンマリッジが日本社会で広く受け入れられることは、今後も非常に困難だと考えられます。その背景には、日本特有の文化的・社会的な要因があります。
- 家族観・結婚観が排他性を前提としているから
- 空気を読む文化と同調圧力が強く、少数派が叩かれやすいから
- 恋愛や性に対するオープンな議論が苦手な風土
家族観・結婚観が「排他性」を前提としているから
日本における結婚観は、二人だけの特別な絆を生涯守り抜くという排他性を基本としています。この考え方は単なる道徳規範ではなく、日本人の心の奥深くに根ざした価値観であり、簡単に変わるものではありません。
日本の伝統的な家族制度では、夫婦は家を守る基本単位とされてきました。お互いに貞操を守り、協力して家庭を築き、子孫を残すことが結婚の重要な目的でした。この考え方は現代でも色濃く残っており、結婚とは二人だけの世界を作ることという認識が一般的です。
また、日本人の美意識として、一途さや献身性が高く評価されます。一人の相手を生涯愛し続けることは美しく、複数の相手と関係を持つことは軽薄で不誠実だと見なされます。この価値観は文学作品や映画、ドラマなどを通じて繰り返し描かれ、世代を超えて受け継がれています。
さらに、家族の境界線を明確にすることで安心感を得るという心理も働いています。誰が家族で誰が外部の人間かをはっきりさせることで、内と外を区別し、家族という安全な場所を守りたいという欲求です。オープンマリッジはこの境界線を曖昧にするため、多くの人が不安や違和感を覚えるのです。
「空気を読む」文化と同調圧力が強く、少数派が叩かれやすいから
日本社会の大きな特徴として、集団の調和を重視し、目立つ行動を避ける傾向があります。周囲と異なる価値観や行動を取ることは、和を乱す行為として批判されやすい文化的背景があるのです。
オープンマリッジを公言することは、明らかに多数派とは異なる選択を世間に示すことになります。日本では、たとえそれが個人の自由であっても、あまりにも常識から外れた行為を堂々と語ることは、周囲への配慮に欠けると受け取られがちです。
また、日本には「出る杭は打たれる」という言葉があるように、集団から突出する存在を引き戻そうとする同調圧力が強く働きます。特に性的な話題や家族の在り方という、プライベートかつデリケートな領域において、常識を逸脱した主張をする人には、厳しい視線が向けられます。
さらに、会員制交流サイトの普及により、匿名で批判を浴びせやすい環境が整っています。普段は口に出せない本音や、攻撃的な感情を、オンライン上では遠慮なく表現する人が少なくありません。少数派の意見や行動は、こうした集団的な批判の格好の標的となりやすいのです。
恋愛や性に対する「オープンな議論」が苦手な風土
日本社会には、性に関する話題を公の場で語ることをタブー視する文化が根強く残っています。性的なことは極めてプライベートな領域であり、他者と詳しく議論したり、自分の性生活について語ったりすることは、品のない行為と見なされます。
欧米の一部の国では、性に関する話題がもう少しオープンに語られ、多様な性的指向や関係性について議論される土壌があります。しかし日本では、性的な話題は隠すべきもの、恥ずかしいものという意識が強く、建設的な議論が育ちにくい環境なのです。
オープンマリッジを提唱する人々は、自分たちの性的な関係性について公に語ることになりますが、これは多くの日本人にとって非常に不快で下品な行為に映ります。たとえ性の多様性について理解を示す人であっても、それを公然と語ることには抵抗を感じるのです。
また、日本では建前と本音を使い分ける文化があります。内心では様々な欲求や願望を持っていても、それを表に出さず、社会的に適切な態度を保つことが求められます。自分の欲求を率直に主張し、実行することは、この文化的規範に反するため、多くの人から反発を招くのです。
オープンマリッジ提唱者との付き合い方

もし身近な人がオープンマリッジを提唱したり実践したりしている場合、どのように関わるべきでしょうか。ここでは4つの対応方法について解説します。
- パートナーだった場合は離婚を視野に入れるべき
- 友人や知人なら適度な距離を保つ
- 価値観を変えようとせず、議論も避ける
- 最終的には放っておくのが吉
パートナーだった場合は離婚を視野に入れるべき
もしあなたのパートナーがオープンマリッジを提案してきた場合、非常に深刻な問題として受け止める必要があります。これは単なる価値観の違いではなく、結婚生活の根幹に関わる重大な要求だからです。
まず理解すべきは、オープンマリッジを提案すること自体が、すでにあなたとの関係に満足していないという明確なサインだということです。一人のパートナーでは不十分だと感じているからこそ、他の異性との関係を求めているのです。この事実を直視する必要があります。
もしあなた自身がオープンマリッジに抵抗があるなら、決して無理に受け入れてはいけません。一度承諾してしまうと、後から撤回することは非常に困難です。相手は「約束したじゃないか」と主張し、あなたの苦しみを理解しようとしないでしょう。
離婚は大きな決断ですが、自分を犠牲にして相手の欲求に付き合い続けることは、あなたの精神を確実に蝕んでいきます。特に子供がいる場合は、不健全な家庭環境で育てるよりも、健全な環境を与えることを優先すべきです。専門家に相談し、法的な準備も含めて冷静に対処することが重要です。パートナーとの関係よりも、まず自分自身と子供の幸せを守ることを最優先に考えましょう。
友人や知人なら適度な距離を保つ
友人や知人がオープンマリッジを実践している場合、無理に理解を示す必要も、積極的に関わる必要もありません。自分が不快に感じるなら、正直にそう思っていいのです。適度な距離を保ちながら、必要最小限の付き合いに留めることが賢明でしょう。
相手があなたにオープンマリッジについて詳しく語ろうとしてきても、興味がないことを穏やかに伝えることが大切です。「個人的なことだから、あまり詳しく聞きたくない」と正直に言うことで、境界線を引くことができます。
また、相手の価値観に巻き込まれないよう注意が必要です。オープンマリッジを実践している人の中には、周囲の人にもその良さを理解してもらおうと、熱心に説明してくる人がいます。しかし、あなたにはあなたの価値観があり、それを変える必要は全くありません。
グループでの集まりなどで、その人の話題が出た場合も、積極的に擁護する必要はありませんが、攻撃的に批判することも避けるべきです。「人それぞれだと思う」と中立的な立場を保ち、深入りしない姿勢を貫くことが、無用なトラブルを避けるコツです。
価値観を変えようとせず、議論も避ける
オープンマリッジを実践している人の考え方を変えようとすることは、ほぼ不可能であり、時間の無駄です。そこまで確固たる信念を持って実践している人は、他者の意見で簡単に考えを改めることはありません。
むしろ、批判的な意見を述べると、相手は防衛的になり、さらに自分の正当性を主張してきます。「理解できない人たち」として、あなたを批判する側に回る可能性もあります。建設的な対話にはならず、お互いに不快な思いをするだけです。
また、オープンマリッジについての議論に参加することも避けるべきです。会員制交流サイトのコメント欄などで、賛否両論が交わされている場面を見かけても、わざわざ自分の意見を述べる必要はありません。そうした議論は感情的になりやすく、生産的な結果を生むことは稀です。
ただし、もし相手が明らかに苦しんでいたり、助けを求めてきたりした場合は別です。「本当は辛い」と打ち明けられたら、その時は真摯に耳を傾け、必要なサポートを提供することも友人としての役割かもしれません。しかし、それまでは相手の選択を静かに見守る姿勢を保つことが賢明です。
最終的には放っておくのが吉
あなた自身が直接の当事者でない限り、オープンマリッジを実践している人に対しては、基本的に関わらず放っておくことが最善の選択です。他人の生き方や価値観に、あなたが責任を負う必要はありません。
その人がどのような選択をしようと、最終的に責任を取るのは本人です。上手くいけばそれで良し、失敗すればそれも本人が引き受けるべき結果です。あなたが心配したり、忠告したり、批判したりする立場にはないのです。
また、オープンマリッジを実践している人について、周囲で噂話をしたり、批判的な意見を広めたりすることも避けるべきです。そうした行動は、結局あなた自身の品位を下げることにつながります。人の生き方について陰で批判する人だという評判が立てば、あなた自身の人間関係にも悪影響を及ぼします。
ただし、もし相手の行動があなたや周囲の人に直接的な害を及ぼしている場合は、適切に距離を取ったり、必要なら関係を断ったりすることも正当な選択です。自分を守ることが最優先であり、他者の自由を尊重することと、自分が不快な状況に耐え続けることは別問題です。冷静に状況を判断し、自分にとって最善の選択をしましょう。
まとめ
オープンマリッジに対して「気持ち悪い」と感じることは、決して偏見ではなく、結婚や家族に対する健全な価値観から生まれる自然な反応です。最愛の人を他者とシェアする状況への嫌悪感や、結婚の誓いが軽視されているという印象は、多くの人が共有する感覚なのです。
オープンマリッジを求める人には、満たされない欲求や過度な自信、責任からの逃避といった心理が働いています。また、共感能力の不足や既存の価値観への反発といった特徴も見られます。実践することで得られるものよりも、失うもののほうが圧倒的に大きいのが現実です。
日本では、排他的な結婚観や同調圧力の強い文化、性に関する議論の難しさなどから、オープンマリッジが広く受け入れられる可能性は低いでしょう。もし身近にオープンマリッジを提唱する人がいても、無理に理解しようとせず、適度な距離を保つことが賢明です。そして何より、あなた自身の価値観を大切にし、自分を守ることを最優先に考えてください。